2007年05月08日

花の話から二人の中川さんを思い出した

花という言葉からある中川さんのことを思い出した。
今回はある中川さん、もう一人の中川さんについて書くことにする。
一度は書いてみたかったというのが理由である。 

在日韓国・朝鮮人とはまったく関係のない話だ。
このblog〜ブログを熱心に読んでくれて、
よくコメントを書いてくれる人に「花」さんがいる。

花という言葉から、ある中川さんにまつわる光景を思い出した。
今回の話を書くきっかけはこれだ。

ある中川さんとは中川幸夫さんのことである。
中川さんは生け花をいける人だ。
1918年の生まれなのでもう90歳近いがご存命である。

生け花に関して、中川さんは日本を代表する人物だ。
写真でしか見たことはないが、
私の知る生け花とはまるで違うものだった。

そんな中川さんを二度ほど地下鉄で見たことがある。
普通の地下鉄に、一人の乗客として乗っていたのである。
最初にお見かけしたのは10年以上前、
二度目も10年くらい前ではないかと思う。

多分、そこに座っているのが中川さんだとは知らないのだろう、
地下鉄に周囲の乗客は普通に会話していた。
隣には日本を代表する生け花作家が座っているのにである。
なんというか不思議な気分になった。

もう何年もたったがこの光景を忘れることができない。

もう一人の中川さんは映画監督の中川信夫さんである。
1905年に生まれて1984年にお亡くなりになった。
こちらの中川さんはお見かけしたことすらない。
中川さんは、「東海道四谷怪談」という映画を監督している。

何年か前に、東海道四谷怪談を見る機会があった。
私はあまり怪談は好きではないが、この映画は印象に残っている。
日本映画の歴史に残る名画といわれているのだそうだ。

怪談に絡む部分もともかく、本筋には関係のない、
冒頭近くの稲穂?が揺れるシーンが今でも鮮明である。
理由はわからない。

この話もいつか書いておきたかったので書いた。
二人の中川さんのお名前が似ているので、書くことにした。

今回の話はこれで終わりだ。
スケッチみたいなものだとお考えください。

ここからはコメントに関するお願いです。
最初にコメントを書かれる際には、
自己紹介を一緒に書いてもらえないでしょうか。
年齢とか、学生なのか社会人なのか、簡単な考え方とか、
なぜ在日に興味を持つのかとか、そういったことです。
ご自身のblog、ブログがあるなら紹介してもらえるとありがたいです。

理由は、私がこのblog、ブログへの関心を高めることができる、
という個人的なものです。
とりあえずしばらくは継続したいので、皆さんのご協力をお願いします。
コメントの内容をさらに深く理解するヒントにもなると思います。

もちろん、無理に自己紹介をお書きになる必要はありません。
その場合は、書きたいことだけをお書きになってください。
あくまでも私からのお願いです。よろしくお願いします。

また書き込む際の名前は同じにしてもらえるとありがたいです。

いろいろな話を書いています。よければほかの話も読んでください。
posted by knj at 02:44| Comment(13) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
knj さん

新しいメール・アドレスをご提示くださいまして、有難うございます。
<pknjblog@gmail.com >へ、送信を試したのですが、やっぱり駄目でした。
友人達へも私から送って届く事は殆どないので、きっと、私が基本的なミスをしているのだと思います。

内容はknjさんのブログでありながら、私なりのコメントをしていましたので、そのお詫びを申し上げたかっただけです。
私は、ブログのページの開き方、順序など、よく分からないままコメントをしていましたので、反省の意味もあり、再度、ブログを読み直して見ました。
皆さん、キチンと自己紹介をされていたのに、私はいきなりコメントを書き始めてしまった事に気がつきました。失礼致しました。

>このblog〜ブログを熱心に読んでくれて、
よくコメントを書いてくれる人に「花」さんがいる。
>花という言葉から、ある中川さんにまつわる光景を思い出した。

 花で、花を思い付かれましたようですね。
私も11歳から生け花をしていました。姉が父に大きな花瓶をかって貰ったので私も買って貰えるものだと思い、していただけです。
 子供の頃、夏は白い海と透き通る深い岩場、冬はスキー、スケート。家族揃ってダンスパーティーやドライブと、両親や兄達に見守られながら、健康的に思いっきり遊ばせて貰いました。
 20歳頃までは、西欧諸国を中心に自分は日本人だと思っていましたが、大事な友人が在日韓国人だと知ったので、日本と朝鮮、韓国との歴史を知って、始めて民族を意識しました。歴史や社会の事実が分かれば分かるほど、日本人として自分は何も言えない立場だと、悲観ばかりしていました。

 その後の部分的なことは、コメントのところどころに出ていますが、民族の違いとは、長い年月をかけて人と自然とが作り上げた文化とその美しさの調和、素晴らしいことなんだと分かり、自分が人として、やっとその友人と同じ立場でいられそうになるまでに立ち治れた頃、私は命に関わるほどの大病してしまいました。友人に長い時間を費やさせてしまった後悔のために気が狂うほど心で詫び、今までの全てを捨てて、ただ生きる、動けるようになるようにのみ日々を費やしました。
 そんな中、今は亡くなってしまいましたが、従姉の子が遊びに来て、近所の男の子(3〜4歳)と庭の片隅に立っていた時、男の子が足元のタンポポを手折って、従姉の子に上げたのです。4〜5年後、少し動けるようになって、花だけは民族、文化、宗教が違っても、世界中の誰からも受け入れられると確証し、花を本格的に再開しました。
 当時は生け花でしたが、辛かった出来事は優しい心でいる為に。民族の違いを求め、多くの国の方々と知り合えたのも、いろいろな国の文化と自然を知るために。その経験のお陰で、花と人との関係を、納得ができるまで識ることが出来ました。
 その花の世界で、先にも書きましたが虐めに合い、花に自分の心が映ったら花を生けるのが怖いので、怒ることもできず、頚椎の環椎が外れてしまうほど我慢をしました。
 3〜4人の医者からは治る見込みがないと断言されても、苦しくても最悪の覚悟をしながら「花」と「文化」だけは続けていました。それがなければ生きる希望が無くなってしまうからです。神様(宗教的ではありません)は、これでもかというように、大きな支えを私の目の前から消してしまいました。これ以上生きる意味さえ見出せない中、心の伴う思い出と、花だけは自分に残っていると思え、再び歩き始めました。
 そして、長い間自分の中に封印していた韓国、在日の韓国のことも気が付き、遣り残したことが見つかり、新たな視点を求め始めましたら、knjさんのブログに出会いました。

 日本の生け花、西洋のアレンジにこだわるところこだわり、不要なところは捨て、いつどんな時にもどんな情況でも、その場に合ったように、花も人も喜ぶように、誰もが花に携われるようにと願いながら、花を教えています。スマップの「世界に一つだけの花」、好きです。
 たくさん働けば良さそうですが、自由時間は多めに、心のままに時を過ごしています。それで、時々は無理をしても心配がないのです。
遅くなりましたが、自己紹介と私がこのブログに感心持った理由です。

Posted by 花 at 2007年05月12日 02:52
ちょっと、続編です。

kinさんの以前のコメントしにありました。
>反対に昔から朝鮮半島から連れられてきて、日本の文化を良くしてるんじゃないでしょうかね?

 そうなんです。
数えればいくらでもあるのですが、私が感動していることの一つを言わせて下さい。
年に一回公開されるか、見られるか見られないかの、貴重な一つのお茶碗があるんです。
 ご存知の方も多いと思いますが、李、朝鮮王朝の頃、朝鮮半島では、普通の雑器、茶碗として使っていたそうなのですが、お茶会には出したくても出ることが特例なほどやすやすとは出てこない、朝鮮・李朝時代の茶碗で、大井戸茶碗、銘を「喜左衛門」(きざえもん)というのがあるのです。朝鮮の物なのに、日本の国宝なのです。
 私も美術館で一度だけ見たことがあります。当時は余り茶碗を見る目もなかったのですが、風格が凛として飾り気がない、存在感ある印象がありました。それを何度か見た知人の茶人(あるところでは有名です)は、『感動しました』と目を丸くして、無邪気に喜んでいました。

 Web上の言葉を借りますと、
「高麗茶碗の良さというか,味わいというものは井戸茶碗に尽きるといわれています。ということは,茶人たちが高麗茶碗に求めた美しさは,井戸茶碗のような作振りのもの,即ち飾り気のない素朴な姿,全く華美でない渋い落ち着きのある釉色,そして一つの姿として茶碗を観るとき,茫洋とした大きさと,捉えどころのない風格が感じられる茶碗ということになります。それは正に大井戸茶碗の姿であり,「喜左衛門」はその全てを備えた茶碗といえます。」となっています。
http://ginjo.fc2web.com/33idonotyawan/idonotyawan.htm

 朝鮮の陶工がさりげなく作った、その美しさを多くの日本人が見つめ、大事に扱い、尊重し、時間をかけてさらに茶碗自体の美しさに磨きがかかったとも思われますが、朝鮮から来て、国宝や重要美術品になっているものがいくつもあるのです。

 私が言いたいのは、美術、芸術の意味とは、「これは芸術だ!」と言って、有名だから、売れるから良い、と言うものではなく、見ているだけで、美の世界に魂を奪われる時を持たせてくれる、人の品格を上げるものです。
 本当の芸術品、美しい物は、作者自身の品格とか美しさが表れます。挿された花にも、生徒さんの心情、感動、迷い等が悉く読み取れます。(花の場合、花と無心に向き合う生徒さんの純度を高めて頂きたいだけなので、私は花以上の先生にはなれません)
茶碗も同様です。

『飾り気のない素朴な姿,全く華美でない渋い落ち着きのある釉色,そして一つの姿として茶碗を観るとき,茫洋とした大きさと,捉えどころのない風格』も、茶碗の作者自身の現われなのでしょう。
 朝鮮から来た多くの普通の茶碗が、日本で珍重され、親しまれ、好まれたのです。普通の朝鮮の方そのものが好まれたのと同じです。理屈や先入観を除けば、良い所はすぐにでも見える気がします。東洋人同士、分かりやすくて嬉しくないですか?
Posted by 花 at 2007年05月12日 03:04
>花さん
コメントありがとうございます。特に前半は花さんしか書けないもので、強く心に響きました。

「花」さんだから花にかかわる生活をおくっていらっしゃるのは当然なんですが、最近までなぜか思いつきませんでした。
Posted by knj at 2007年05月13日 19:12
knj さん

>特に前半は花さんしか書けないもので、強く心に響きました。

いつも私事で、本当にゴメンナサイ。
ここ1〜2年、やっと人並の生活に近くなりましたが、書いたように、子供の時は思いっきり遊びましたので、安心してください。

本当は、朝鮮の大井戸茶碗の方に、感心を高めてくれたらいいのにと思っていました。(*_*;

 kinさんが「我々はもっとニュートラルに生きたいのです。あくまでも日本人ではなく日本国民として。」とお仰ったのが気になっていたのです。

ここ数日やっと、ブログの読み方、開き方も分かって、隈なく読み返したら、最初の頃は、同じような心境、環境の方々と、ほのぼのするようなコメントの行き来でしたのに、私が「むっ」としたせいもあり、まるで論争のようになってしまい、管理人さんの意とは違ってしまったのではないかと、反省もしていました。
 お互いに励まし合い、褒め合う言葉の方が聞いていても楽しいですよね。
これからは、私も、皆さんのきれいな、さりげない会話に参加をさせてくださいますか?
Posted by 花 at 2007年05月13日 23:21
花さん、こんにちわ。以前、花さんに対して失礼にも返答を求めたことのある者です。
花さんのおっしゃる通り、激しい言葉の飛び交う論争よりも、お互いに励まし合う言葉のほうがいいですね。でもそれは価値観がある程度、似通っている人間間にのみ通用することです。残念ですが。

わたしは以前にも申しましたが、受身でナイーヴで自我が弱い、典型的な日本人です。花さんと同じです。素直に自己反省するのがいいことだと心の底から信じていて、相手に反省させようという発想は皆無でした。

花さんは知識人のようにお見受けするので、イザベラ・バード「朝鮮紀行」(講談社学術文庫)をお薦めします。わたしが韓国に関心を持つきっかけになった記念すべき書物です。日本に統治される前の韓国の姿を、生き生きと描き出しています。同じ著者の「日本奥地紀行」と読み比べるのも興味深いです。
Posted by アキレス at 2007年05月23日 20:10
>花さん
返事遅くなりました。コメントありがとうございます。

> お互いに励まし合い、褒め合う言葉の方が聞いていても楽しいですよね。
>これからは、私も、皆さんのきれいな、さりげない会話に参加をさせてくださいますか?

管理人として、きれいなさりげない会話が広がるように努力したいと思います。

>アキレスさん
コメントどうも。

>花さんのおっしゃる通り、激しい言葉の飛び交う論争よりも、お互いに励まし合う言葉のほうがいいですね。でもそれは価値観がある程度、似通っている人間間にのみ通用することです。残念ですが。

私はそうは考えません。ですから残念でもないでしょう。またアキレスさんの積極的かつ複製を恐れないネットへの書き込みは、受け身な行為では決してないと思います。ご了解ください。
Posted by knj at 2007年05月24日 01:09
アキレスさん

>わたしは以前にも申しましたが、受身でナイーヴで自我が弱い、典型的な日本人です。花さんと同じです。

 私は、自分自身を「受身でナイーブで自我が弱い」とは思っていません。
美しい事やものへの感性はあるかもしれませんが、自分をナイーブだと感じたことはありません。と言うより、それは自分が決めることではなく、他者が見て判断することだと思います。それに、以前、アキレスさんのコメントに、『昔朝鮮人が駅前の土地を云々・・。』とか言っていましたが、日本人が買おうが何人が買おうが買ったんですし、問題にはならないと思います。本当にナイーブであるなら、苦言として聞かされた人の気持ちも分かるはずなので、そのようなことを誠しやかに誌面上には書かないのではないでしょうか?自分のためにナイーブになるのではなく、人のためにナイーブになって欲しい気がします。

 私は、人と醜く争うより、自分が我慢すればその争いはしなくてすむのであれば、争いは避けますが、余り無茶を言う方には、心の奥で軽蔑もしたくなります。争う人間でいるより、人としての自分を大切に育てたいからかもしれません。どうしてもその人や場に合わない時には、自分から避けますので、むしろ自我が強いかもしれません。争いを避けるのと自我が弱いのとは同じでないような気がします。
 それに、何が良くて何がいけないかおおよその判断は付くような様々な経験も、一応積ませて頂いたので、それを越えられただけの忍耐力と思いやりだけは少しは身に付いたのかなと思います。昨今、人と争うことも、感情的に怒ることもほぼしなくてよい状態に(周囲の人々が私のわがままや至らなさを許してくれているからかもしれませんが)あり、多少でも人の心の痛みも推し量ることがきるようになったので、そう思えます。

 私のスペイン、イタリア、イギリス、ブラジル等の多くの友人達からは、他の日本人とは違うと、よく言われます。自分を構える必要がないので、心の中は、人に迷惑をかけない範囲で自由ですし、それと同じだけ、自分の行動の責任も感じています。自国も他国も知った上で、どの国の人にでも受け入れてもらえる、日本人ではいたいと思います。

>花さんは知識人のようにお見受けするので、イザベラ・バード「朝鮮紀行」(講談社学術文庫)をお薦めします。

以前、knjさんが話題に取り上げてくださった本ですね。
 著者が西洋人だったことにちょっと違和感があり、読まずにいました。
なぜなら、東洋と西洋には本質的な考え方の違いがあるので、その当時のその視点のものが自分に必要かどうかと・・・。
 私の韓国への感心は、先にも書きましたが、知らされていない悲しい歴史から始まって、日本の中の朝鮮人差別や偏見にありますので、その不条理を無くしたいことが先決でした。
 30年ほど前ですが、当時は、朝鮮の民族衣装を見るだけで、きれいで優美なのに見るたびに、自分が日本人だと意識し、その溝が辛くて、ただ泣いてばかりいました。
 何十年も経た今は、日本を含め、その国の人々が先祖代々、自然と共に作り上げた、それぞれの国の文化の素晴らしさ、人の賢さ、暖かさを、日常の生活の中からも感じています。
 先に挙げました、大井土茶碗一つを取りましても、日本にはない、懐の大きさや気取りのなさ。 朝鮮・韓国の民族衣装、チマチョゴリを見てもその美しさには心を吸い寄せられるものを感じています。言語、食卓、住居、工芸品、台所雑器、音楽、舞踊、年中行事等しかりです。他の国々も同様です。
 ですから、私は知識人ではありません。自分に必要なものが自分の中に蓄積され、自分に出来ることをしているに過ぎません。

knjさん

>管理人として、きれいなさりげない会話が広がるように努力したいと思います。

本当は、どの人にとっても必要なことだと思いますが、本来なら、そんな論争が起こる必要もない日本の社会になってほしいです。
過信かもしれませんが、世情を無条件で受け入れやすい日本人だから、広く、深く、良い意味で、人の気持ちが分かる、しっかりした人に、リーダーシップを取って欲しいです。面白いとか、話題性があるとか、目立つだけの人ではなくて・・・。
でも、そういう人って少ないですね。結局一人一人が人として、しっかりした視点をもって、人を大切にすることかもしれませんね。

 これからもいろんな話題を提供してください。私にはできない、簡潔な言葉を快く読ませて頂いています。
Posted by 花 at 2007年05月25日 02:04
花さん、コメントありがとうございます。

>私は、自分自身を「受身でナイーブで自我が弱い」とは思っていません。

たいていの日本人は骨の髄から受身の体質を持っているのに、そのことに気づいていないだけなのですよ。わたしもそうでした。
下記のニュースで文化の違いがよくわかります。

>韓国のある女子高生が、日本で韓国文化と韓国語の伝播に精を出していて、注目を集めている。話題のヒロインは、キム・ジュヨンさん(18歳)、日本では、『NHKハングル講座に出演している。
>日本のファンに、「学校の勉強と仕事を一生懸命してください」「努力しなさい!」と言うなど、激励を惜しまない。

他国から来ておいて、人に物を教えようとするような、上から見たような物の言い方をするのは、日本の女子高生では無理でしょう。やはり受身になって、「滞在国の文化を学びたい」とか言うと思います。

★◆●■▲▼
わたしは不動産調査の仕事に従事していたことがあります。花さんは不動産登記簿というものをご覧になったことがあるのでしょうか?過去の所有者をどれくら遡って記載しているものなのかご存知ですか?戦争中、空襲のため、都市部では登記簿が焼失した所は少なくありません。それを戦後、どうやって再出発したのかご存知ですか?戦死あるいは戦災で所有者が亡くなって、所有者不明になった土地が大量に出現しました。それを戦後、どうやって処理したのかご存知なのでしょうか?

>日本人が買おうが何人が買おうが買ったんですし、問題にはならないと思います。

たしかに中には買った人もいるでしょう。買った人はその証拠に、手元に登記済書(いわゆる権利書)があるはずです。しかし花さんのご意見は見解の相違などではありません。
全くの事実誤認でデタラメです。

戦後間もない頃から始まっている登記簿が、韓国人名の所有権保存登記から始まっている例は、都市部の優良一等地にはちらほら見られます。(戦前の所有者を記録した旧台帳は焼失)戦後の混乱期に、金持ちの韓国人が突然大量に現れて、日本の優良不動産を買い漁ったのでしょうか?不動産関係者の間では、以前からささやかれていたことです。
Posted by アキレス at 2007年05月25日 07:28
>花さん
コメントありがとうございます。

>アキレスさん
コメントどうも。

この話は、花と二人の中川さんに関するところです。日本人が受け身かどうか話されるには、もっと別に適したところがあるかと思います。以前も書いた気がしますが、無料のブログ・サービスもたくさんあります。アキレスさんは2ちゃんねるにも書き込みをされるようですから、2ちゃんねるでこの話題について議論されてもよいかと思います。
Posted by knj at 2007年05月26日 07:30
>>花さんへ

>30年ほど前ですが、当時は、朝鮮の民族衣装を見るだけで、きれいで優美なのに見るたびに、自分が日本人だと意識し、その溝が辛くて、ただ泣いてばかりいました。

花さんのような方にお目にかかったのは初めてです。感銘を受けました。わたしも泣きそうになりました。(笑)京野菜を作っている農家の人は、野菜を出荷するときに、「野菜と別れるのがつらい」と言って泣くそうです。これほど受身で優しくて繊細で、ナイーヴで自我が弱い民族は世界中探しても珍しいと思います。

中国で長年ビジネスをしている人がこう言っていました。「中国人にとって反省とは他人にさせるものであって、自分がすることではない。相手が反省するように持っていくことが外交であり駆け引きであると、そう考えている。」中国人に限らず、自我が強くないと生きていけない大陸型民族は、多かれ少なかれこういう体質です。

大事なことを言い忘れました。土地の不法占有については、時効取得が成立しています。ただこの問題は、近い将来、大っぴらに論じられる時が来ると思います。すでに一部の文献では取り上げられています。わたしが言いたいのは、一部の日本人が韓国人を激しく嫌うのは、偏見だけではなく、正当な理由があってのことです。それは主に、日本の敗戦が決まった直後の経験から来ています。花さんは当時何が起こったのか、何もご存知ないのでしょう。


>>KNJさんへ

ご意見を受け入れます。削除もせず自由に意見を述べさせていただいて、どうもありがとうございました。
Posted by アキレス at 2007年05月26日 08:07
アキレスさんへ

>>30年ほど前ですが、当時は、朝鮮の民族衣装を見るだけで、きれいで優美なのに見るたびに、自分が日本人だと意識し、その溝が辛くて、ただ泣いてばかりいました。

>花さんのような方にお目にかかったのは初めてです。感銘を受けました。

 子供の頃、「怒るほうが悪いか怒られるほうが悪いか、よく考えなさい。お母さんだって怒りたくないんです」と、忙しい母から聞いて育ちました。よく考えると怒られた私の方がいつも悪いのです。勉強をしないことも遊んでいることを咎められることはありませんでしたが、人に間違った言葉をかけた時と迷惑をかけた時は、「その人の立場になって考えなさい」と叱られました。外で私がいじめられて、母が私をかばいたくても、他者を誹謗しなければならない時は、「人にされて嫌な事は自分がしてはいけません」だけでした。
 私は、言葉でその事を知っていましたが、その大切さを身を持って教えてくれたのは、在日韓国人の生涯大切な友人でした。私を傷つけまいと、自分の辛さは一言も言わずに一人で耐えていたのです。
 最近気が付いたのですが、二人の兄達は、どんな時にも本当に優しかったと思います。子供の頃は、その兄達に守られて思いっきり遊んだのですから、社会に交じって傷つくことも攻撃的に攻めることもしなくて済んだのだと思います。父の逝った後も、社会の問題で傷ついた時も、優しさは変わりませんでした。そのお陰だと思います。
 もし誰かが、同じように育てば、私以上に、人の立場に立ってものを考える事が出来ると思います。

>京野菜を作っている農家の人は、野菜を出荷するときに、「野菜と別れるのがつらい」と言って泣くそうです。これほど受身で優しくて繊細で、ナイーヴで自我が弱い民族は世界中探しても珍しいと思います。

 ご自分の作った野菜にさえ、泣くような日本人は、全員ではないと思いますが、「受身で優しくて繊細で、ナイーヴで自我が弱い民族」のその方も、在日の韓国や朝鮮の方々に、起こっていた事実を知っても知らなくても、野菜ほどに、同じように愛情を注いでいない事すら気が付かないだろうことが、同じ日本人として悲しいです。

>中国で長年ビジネスをしている人がこう言っていました。「中国人にとって反省とは他人にさせるものであって、自分がすることではない。相手が反省するように持っていくことが外交であり駆け引きであると、そう考えている。」中国人に限らず、自我が強くないと生きていけない大陸型民族は、多かれ少なかれこういう体質です。

 もし私がそのよう考えでいたら、大勢の友人(国籍問わず、勿論大陸の方も含め)には出会えなかったと思います。
 中国でビジネスを成功させた有名な日本人のご自宅に食事で招かれた時、ビジネスパートナーとして仕えてくれた中国人の方を、「○さんは、本当に素晴らしい。何があっても一生お付き合いをしたい」と、仰っていました。大陸民族ですが、「多かれ少なかれこういう体質」でしたら、一生付き合いたいとは言わなかったと思います。ビジネスは駆け引きかもしれませんが、最後に信頼するのはその方の人生観、人間性だと思います。
 
>>韓国のある女子高生が、日本で韓国文化と韓国語の伝播に精を出していて、注目を集めている。話題のヒロインは、キム・ジュヨンさん(18歳)、日本では、『NHKハングル講座に出演している。
>>日本のファンに、「学校の勉強と仕事を一生懸命してください」「努力しなさい!」と言うなど、激励を惜しまない。

>他国から来ておいて、人に物を教えようとするような、上から見たような物の言い方をするのは、日本の女子高生では無理でしょう。

 その方を個人として捉えていますか?偏見を持たずに、そう仰っていますか?アキレスさんが本当に「受身でナイーヴで自我が弱い、典型的な日本人です。花さんと同じです。素直に自己反省するのがいいことだと心の底から信じていて、相手に反省させようという発想は皆無でした。」であるなら、「他国から来てオイテ」と言う表現はなさらないと思います。
 「個人対個人の付き合いでは、もっと思いやりを示すべきです。」と仰っていましたので、個と公は区別をしているのかと・・。
 公的なハングル講座で教える立場を頂いている限り、激励は当然だと思います。
 一般的な日本の女子高生では、それを言える自信がないのではないでしょうか?ご家庭でもそのように躾けてはいらっしゃらないのではないでしょうか?
 私が、若い頃、多くの同年代のヨーロッパや中近東の友人達と接していても、日本人にはない自立心と社会の一員であるという自覚をすでに持っていました。受身ではなく、社会の一員としての責任がないのが、日本の女子高生の現状ではないでしょうか?そう育てた親達にも、その自覚があるかないかの問題でもあると思います。
Posted by 花 at 2007年05月27日 01:14
すみません、また続です。m(__)m

>花さんは不動産登記簿というものをご覧になったことがあるのでしょうか?

登記簿の抄本を、必要に応じて2度見た事はあります。

>>日本人が買おうが何人が買おうが買ったんですし、問題にはならないと思います。

>戦後間もない頃から始まっている登記簿が、韓国人名の所有権保存登記から始まっている例は、都市部の優良一等地にはちらほら見られます。(戦前の所有者を記録した旧台帳は焼失)戦後の混乱期に、金持ちの韓国人が突然大量に現れて、日本の優良不動産を買い漁ったのでしょうか?
>土地の不法占有については、時効取得が成立しています。

 すでに時効取得が成立しているものに、ここで論じる必要があるのでしょうか?
私の母の従姉妹(正確にはそのご主人)は、戦前まで、日本の中でも超一等地にビルを持ち、広大な敷地では贅沢な家に暮らしていました。戦争中と戦後、全てのものを売り尽くし、その子供さん達(もう老齢です)は、今は小さな家で暮らしています。安く売っていたと思いますが、自分の欲さえ言わなければ、その時代にしてしまったことを、後になって騒がないのではないですか?大体、一時は繁栄しても、それが不正であれば、いつかは滅びる日がくるのですから、そんなにカリカリしなくても・・・、と思います。

 政治の流れの中で、過去の「小作人」(?、違ったらすみません)とかに農地を「ただ同然」(手放した本人の言葉です)で手放し、近年になって、農地を売って安泰に暮らしている農家の方もいると思いますが、だからと言って、手放なした当時の政治に憤慨する意味があるのでしょうか?
 
>一部の日本人が韓国人を激しく嫌うのは、偏見だけではなく、正当な理由があってのことです。それは主に、日本の敗戦が決まった直後の経験から来ています。花さんは当時何が起こったのか、何もご存知ないのでしょう。

 敗戦当時は生まれていませんので知りません。
敗戦以前に日本人が朝鮮人をどのように扱い、在日一世の方々が大変苦労なさって生活をされていたのは、直接聞いたり、友人達を通したり、実話を読んで、自分の経験ではありませんが知っています。若い頃中国に行った事のある日本人から「若気の至りだった」と、顔を背けながら直接聞いたとこは一度だけあります。
 日本国内では、朝鮮半島で何が起こっているかも知らず、朝鮮人を一方的に見下すような日本の社会があった事も知っています。日本人の目から、その痛みを知る事は難しいと思います。戦後の混乱期の数年の事を言えば、その前の35年間のことを言われますよ。
 人を殺したって、時効。何万もの女性が辱めを受けたって、無効。日本統治時代に、一家の働き手が亡くなっても、時効。日本人としてあった当時の名簿が不詳だから補償は、無効。「両国の協定は済んだ」「差別は無い」、何を言っても「反日」「帰れ」。
 私が、たった一度泥棒扱いをされただけで、傷ついているのです。人から逃げたいのです。もし、私が日本人として、朝鮮人や韓国人とまったく同じようにされていたら、自分がどうすべきか、想像すら付きません。憤慨だけは残ります。

 それでも、このブログの管理人さんや、私の友人の在日韓国人の方々からは、一度もそれらの恨みも、愚痴も聞いていません。
 ですから、一部の方がそうせざるを得ない情況でした、遠くで聞いた過去のことも、このブログや公の場で、不特定多数に向けて、言うべき事ではないと思います。直接それをした人に、当事者が言えばよいのではないですか?
 何も悪いこともしてない在日の方々や、日本を好きな在日の方が悪く思われるのも、悪く言われるのもフェアーではないと思います。
 「個人対個人の付き合いでは、もっと思いやりを示すべきです」、なのではないですか?
 思いやりを示すには、潜在的にある「こういう体質」を前提にしないで、本人同士とのやり取りだけで充分な気がします。

 かつては、日本に文化を伝えてくれた隣国として、韓国や中国本土で起こる「反日」とは違う、日本を好きな在日の方々と、普通に仲良くしたい、と言うのが私の思いです。
 韓国人の思いの深さと日本人の優しさがあれば、事実を知った上でのみ、それは可能だと思います。日本も韓国も、国民性は違っても、良い国だと信じたいからです。他国には出来ない親戚同士の仲の良さを世界に誇りたいからです。  
 日本人は閉鎖的、排他的なこともありますが、日本人が本当に、「優しくて繊細で、ナイーヴで自我が弱い民族」であるなら、それは難しいことではないでしょう。
 
それで、朝鮮の井戸茶碗、今は日本の国宝の「喜左衛門」の話しを書きました。

アキレスさん、私の意をお汲み頂けるなら、これで最後にして下さいますか?もし不動産のことで、いずれ公表があるなら、気が向けば、自分でそれを読みますので、ご心配頂かなくても結構です。
  

Posted by 花 at 2007年05月27日 01:32
>アキレスさん
コメント、どうも。

>花さん
またしてもコメントありがとうございます。
Posted by knj at 2007年05月28日 08:53
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